Love’s diary

偏愛、寵愛、やっぱり最愛。

つまらぬもの

はいこんにちは。
言いたいことはブログでいう風潮?に乗り遅れました。

息をするようにTwitterしている馬鹿は私だけれども、諸事情によりツイ禁せざるを得なくなった。諸事情は割愛。思い出したくもないものは見たくないし、楽しめるほどまだ悟りも開けてないし、開くつもりもないし、原因はいつか人生を賭して消したいと思う気持ちは消えない。

日々文字にして発散しないと発狂するからここで出すけど、私というものは何を書いてもつまらぬ。面白いことや楽しめることを書きたいと長く思っていたことがあったけれど、そう思ってること自体が私をより一層つまらないものにしているんだろう。

これはブログなの?ブログはとても個人的なものなのか。ブログは書いたことがないからわからないけれど、Twitterとはかなり違う。もう少しだけ個人の垣根が高いのかな。

何をやってもつまらない三日坊主の私はTwitterだけは何年も続けている。読んでいて死ぬほどムカつくときもあるし不可解すぎて怖くなったりもするけれど、私と他の人達の差異を愉しむには絶好のツールだ。いろんな人がいる。いろんな人生があっていろんな思考があっていろんな趣味があっていろんな好みがある。

よく言うことのひとつに、「好きを知りたい」がある。それは存外に嫌いな理由ばっかりは醜いと思うのと、disるより褒める方が難しいけれど心持ちがいいのと、憎悪じゃなくてせめて愛憎が良いのと、好きは格好つけずナマの感情が見えやすいのと、…ウダウダあるが、誰かが何かを好いている姿がまあ好きなのだろう。私が好き嫌いが激しすぎるので、せめて良い方だけでも認めてほしい内心の表れかもしれない。

好きになった理由やきっかけは些細なことが多い。が、心に深く根ざしているとその人にゆっくりと染み渡って、その人らしい何かになる。好きにも愛し方にもいろんな道があって、いろんなアプローチがあって、私はそれを聞かせてもらって、どれも平凡だとは思わない。誰かが何かを愛する姿はかけがえのないものだ。

時には不器用な人もいる。出すもの全てが思いと逆なのかもしれないと思わせることもあるし、愛ゆえに自らの薄暗い部分を曝け出すことに気づいていない人もいる。どれも愛の形で、切なくなる(まあ一番腹立つのは愛してるふりをしてどこか別の鬱憤を愛ゆえの憎しみのふりをして吐き出すことだけど、少し密に接しているとそれはすぐ分かる)。

愛する対象は大抵自分の思い通りにはならない。もし思い通りにいくことだけが愛している理由だと思っているのなら、それは支配だけなのかもしれない。愛は叶わないことが多い。思いの強さとそれが通じるかは比例していない。愛は大抵失望する。裏切られるような気持ちにもなるだろうし、信じたり得る存在なのか何かが自分に問いかける時もあるだろう。 

それでも消えぬ愛がある。失望にまみれても離れられない、魅了された人達がいる。心で泣いて茶化す言葉で悲しみを和らげ、過去を思い出し振り返り、それでも前を向き信じる人達がいる。

私は謙遜せず言うと、かなり愛情深い方だと思う。基本、どんなことに関しても。深すぎてどこか色々たくさん壊れているのだけれど、直さず治さず直らず壊れたまま人生の半分以上が経過した。もうどんどんポンコツになっていくばかりだから、変に改造せずにこのまま朽ちていく。

愛は時に重い。時にウザい。よく言われる。時には抑えた方が良かったのかもしれない。だけどどうしても冷静に客観的に、冷めた側には飛び移れなかった。私にはその崖は遠すぎる。二度とこっちに戻って来れなくなるくらいなら、狂気の渦に呑み込まれた方が本望なのである。

で、何が言いたかったんだっけ。忘れてしまった。ラブイズオンラインは誤変換、ラブイズオンリー?んんんしっくりこないな。ラブイズケビンラブ?知ってる。何だっけ。また今度。