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Love’s diary

偏愛、寵愛、やっぱり最愛。

Q&A 2 強い人とは

Q.

こんばんは、ゆりあさん。 質問です。ゆりあさんにとって強い人とはどのような人だと思われますか?

お名前 : トマトさん


A.

トマトさんコメントありがとうございます!しかも私の好きそうな曖昧な概念の質問。最高です。

強い、かぁ…それは良識的な態度と優しさ、簡単に晒しはしないが浮き出た腹筋、ほどよく艶のある健康的な肌、程よく発した体毛、戦闘的でありながらも慈愛に満ちた言葉、動くたびに様々な表情を見せる上腕筋、しっかりとしたステップ、力強いピボット、しなやかな指先、地面に根ざした腰元、んで片手で手繰り寄せたリバウンドをパァン!と、こう、パァンとね、されると私の胸がギュウッと締め付けられて、ああこれがストロング……これこそ私の追い求めた、強さ、……ああ……


ごめん。


一般的な「強い」のイメージは硬めですよね。肉体的にしろ、精神的にしろ。いわゆるガッチガチのボディであったり、何を言われても平気なアイアンハートであったり。

そういった「強い人」を体現するに至る過程はどれもこれも、悲鳴をあげる筋肉に対して怯み諦めることなく鍛錬を積み重ねる、言われたことを反芻して考え慣らす、などなどの経験と習得でたゆまぬ努力の結晶としてのあらわれが私達の目に見え捉えやすい「強さ」であるように思えます。

その努力の過程において、努力する人は何をどうしているのか…それはやはり、自分を知っていなければいけないのかなと思います。自分を時には主観的にもちろん最終的には客観的に見つめる作業をしてから、努力するし、皆しているのかもしれません。

己を熟知することが、その努力が他人に伝わるようになるまで(努力は誰でもしているけれど、それがはっきりとした強いものと見えてくるのは、一定の域を越えて他人からもある程度認められるようになるまでだと思います)充分にできている人だけが、「強い人」と表現するに相応しいのかなと私は感じます。

冗長になりましたが、では己を熟知する、目に見える努力をするって一体どういうことだよと。

何を知ればいいのか、何を知るのが難しいのか、それは「弱さ」だと私は思います。

自分に向き合えと言われた時に一番嫌な作業なのは、やはり欠点、短所、足りない、と言われている部分を挙げ連ねていくこと。いい部分はたとえ数がさほど出なくてもいくらでも肯定的に解釈できますが、悪いと言われている部分を出して(しかも結構たくさん出てくるんだこれが)、それが単なる自己肯定感の不必要なまでの低さからなのか、観点を変えれば好意的に解釈できるものなのか、それとも単に悪い癖なのか、それよりももっとタチの悪い悪意なく悪影響を与えるものなのか。

精神的感情的な要素であれ、肉体的理論的な要素であれ、その類の自己分析は時には心を蝕む、根気のいる非常に疲労する工程です。

この作業をいかに上向きなエネルギーに変換するまで思考できた者こそが、私の中の「強い人」です。

落ち込むのはとことん底を見てもよいのかなと思います。しかし浮上にあまり多くの時間を費やすのは無駄。

反省するだけも実りがあるかといえばそうでもありません。繰り返さないように留意するためには原因を深く探るまたしんどい作業が待っています。

卑屈になるのはもっと無意味。向上するための作業のあくまで途中なのですから、羨んだり蔑んだり自己嫌悪の渦から抜けられなくなったりしている暇があったら、何かを変えて行動しなければ光は見えてきません。


私自身はここまで偉そうに書いておきながら、この作業は大嫌いで疎かにしていました。特に新卒の就活時期に。中途半端にやって鬱っぽくなるという今思えば時間の無駄。

そこから何十年も経ってからこの質問をいただいて思うのは、弱さを見つめて強みに変え、穏やかに笑う優しさのある人々達にたくさん出会ったから、もともと弱さのあった人こそが「強い人」だと思うのです。

あとひとつ、強い人は誰かを愛せること。慈しんで優しくできること。世界は自分だけで成立してると思わないこと。弱さを知っている強い方は、愛も深いと思います。




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