Love’s diary

偏愛、寵愛、やっぱり最愛。

誰が言ったか、ではなく、何を言ったか

人はバイアスの沼から逃れることはできない。

 

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バイアスってあまり耳慣れない言葉ですが、聞いたことはあると思います。

では、バイアスってなんでしょう?

 

こんにちは。

今日は序盤はバスケに関係ない話です。

よろしければお付き合いください。

 

バイアスは、「偏り」と訳してしまえば短いですが、色々あるみたいです。(詳しく読みたい方はこちら http://www.pojihiguma.com/entry/bias-mean から) 小難しいので読まなくても大丈夫。

 

さて、人は自分の意思で自分の意見を述べていますが、それには様々なものに左右されています。人にはそれぞれの経験と人生から得たものがありますから、それら全てを取り除いていくことは、実質不可能です。

 

ご挨拶が遅れました。ゆりあです。

今日は何が言いたいか不明瞭な話になりますが、どうしても書きたくなったので続けます。

 

バイアスのことを調べると、どうしても「判断の誤り」だとか「誤認知」だとか、「まちがい」の話になります。たとえば、

 

【近所のスーパーで卵が198円だったが、車で30分のスーパーでは卵が148円だったので超お得だった】

みたいな話。あとは、

【多くの人が賛同しているから信じたけれど、それはフェイクニュースだった】

とか。先入観で人間は簡単に騙されるものという話。

 

ああそんなこともありますね、と思ってきたでしょうか。

 

卵の話は計算すれば誤りなのはすぐに分かります。ニュースも調べれば、それ自体が嘘だと分かります。

 

思い込みによって人はすぐに誤解します。それが完全なる誤りでなくても、です。

 

こんな場合はどうでしょう。

 

【服装のきちんとした人と、いつもカジュアルな服装の人がいる。どちらかが遅刻をした。さて、どっちの人だと思う?】

 

わざと分かりやすく書きました。もちろんこれだけの情報だと、どちらが遅刻したのかは分かるわけありません。でも、どちらかに味方したくなりませんか?

 

今回はそういう話です。

 

ここでバスケの話にします。

【元選手がニュースで今の学生のボールは小さい。と言った。かたや一介の市民が今のボールは中学生から大人と同じ大きさだ、と言った。】

 

多くの人に伝わり、信じられるのはどちらでしょうか。

 

条件が不利だ、とお思いかもしれませんが、事実は現在の使用球は中学生から女性は6号球、男性は7号球と、成人規格と同じ使用球となっています。

 

前述したリンクにバイアスへの所感が述べてあるので引用します。

 

引用ここから***

 

その人が生きてきた経験や思考パターンはすべて違うわけですから、何かしらのマスクは間違いなくかかります。 ですので、これらを無くそうと努力することは徒労、余計な心的負荷になってしまう危険性があります。

 

理想は「今、バイアスがかかっているのではないか」という自覚を持つことです。

 

場面場面ではバイアスによる正常な判断を失してしまうことも必然ですが、肝心なのはそれを検証してバイアスを取り除き、次に起こりうる事態に直面した際は、現在よりもできるかぎりバイアスの少ない、的確に事象を捉える思考を持てるようになること

 

***引用終わり。

 

この世の中にはたくさんの情報が溢れています。全てには誰かしらの意向が含まれていて、完全なる的確さは実現しません。私のこの文章もまた、一種の偏りから発言されるものです。

 

人は何を信じればいいのでしょう。

 

話をタイムリーな話題に。

 

【元選手と選手が誤審に対して徹底的に揶揄した。単なるファンが誤審はあったが抗議の方法は他にもあると述べた。】

 

この場合、誤審に対して取るべき対応として、今後の発展も考えて相応しい行動はどちらになるのでしょう。

 

意見の分かれるところだと思いますし、言論自体は自由を保証されているので、呟くことは各自の自由です。人間には感情がありますから、吐露する自由も、冷静になり得ない事情もあります。

 

誤審は基本あってはならないことです。ただ、バスケットの試合では、瞬時の判断で間違いをゼロにすることが現状難しくもあります。もちろん、少なくしていく方法を模索する必要もあります。

 

私が言いたいのは、立場やその場の感情で、脊髄反射的にただ賛同することへの危うさです。

 

また、こんな場合について、どう思いますか。

 

【昔から熱烈にA選手を贔屓にしている女性がA選手の◯◯に対する良さを述べた。】

よくある光景です。◯は何でもいいと思います。例えばディフェンス、など。そして、

【数々のチームを観たバスケ経験者の男性がA選手の◯◯の良さを述べた。】

これもよくある光景です。

 

A選手の評価が上がったのはどの時点でしょう。

 

人間はその頭の中にある色々なものから自身の反応を引き出します。

 

何を言ったか、ではなく、誰が言ったか。

 

評価とはそんなものだ、と諦めることはできます。ただ、この世に生きる人間は全員、ただの人間です。

 

Bリーグはテレビ放送に値しないと関係者は思っている】

【観戦者はテレビ放送でも観られる時代を切実に望んでいる】

 

どちらを信じますか、いえ、信じさせますか。

 

人は誰でも、一種の偏りからの判断からは逃れることができません。

 

しかし、人間は思考する生き物であるからこそ

 

誰が言ったか、ではなく、何を言ったか

 

を、読めることのできる有機物であると思います。

 

 

2018.03