Love’s diary

偏愛、寵愛、やっぱり最愛。

伝え続けることへの功罪

好きを呟くことは、果たして悪いことなのでしょうか。私にはそれがどうしても分かりません。

 

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こんばんは。ゆりあです。

 

今、バスケット界はそれなりの窮地に立たされています。ここで書くのも憚られるような出来事が立て続けに起こりました。

 

4人の日本代表選手が買春し、1人のBリーガーが窃盗で逮捕されました。これ以上触れずに好きのみを呟き続けようとしましたが、どうやらそれもままならないようです。

 

今日は、私の愛し方や伝え方を話します。

 

私が作るTwitterのタイムライン上には、バスケットを愛しその話をする人がたくさんいます。私のフォローの傾向として、好きなバスケを、チームを、選手を、とことん愛し抜く方々をフォローしているので、色々な愛し方を見せてもらうことができます。ありがたいことだと思います。

 

バスケが好きで応援されている方はたくさんいらっしゃいます。応援のかたちは様々です。素晴らしい写真を撮る方もいれば、感想を端的に伝える方、観戦記を書く方も、行く先々での遠征の旅の思い出を綴る方もいれば、イラストで表現する方、チームへの感謝を述べたり、時には厳しい言葉で冷静に分析したり、バスケットの様々な歴史や知識を伝えてくださる方もいます。

 

読ませていただくたびに、応援の形はそれぞれあれど、こんなにバスケを好きな方がいるのだなと思うと嬉しくなります。

 

私はカメラも無く、旅する時間もなく、知識もなく、何十年も前のことは知らず、持ちうるものはほぼありません。

 

ただ、好きな選手がいます。その人のバスケットを心の底から愛しています。

 

たくさんの人に人気が出ると良いと思っています。多くの人に愛されてほしいと願っています。プレーの素晴らしさ、人間性の愛らしさ双方を充分に持ち得る稀有な方だと思っています。

 

だからどんな時も、ずっと応援していきたい、何があっても味方でいたい、と伝え続けています。

 

私はその方に、以前手紙を送りました。

 

I love your basketball.

 

そう書きました。

その意思は揺らぎません。多分一生そう思うのでしょう。いつどんな時でも、私にとっての最高のバスケは彼のバスケです。

 

私はそれを言うことを躊躇しません。口を開けばどんなに素晴らしいかを暇さえあれば語ります。ツイートの数は多く、Instagramでも似たようなことをしています。

 

地声も大きいので、応援に行けばありったけの声を張り上げて名も呼びます。ルール内であれば声もかけますし何秒か会話もします。ハイタッチも手を出してくださればしていただきます。写真撮影もお願いするし、またそれも載せますし、サイン会ではサインもしてもらいますし、プレゼントをあげたことも何度かあります。もちろん全てルール内で、無理な時にお願いしたつもりはありませんし、サービスの一環として全員がチャンスがある時間にお願いし、きちんとお礼もしているつもりです。

 

目立たないと言ったら嘘になると思います。試合日に声でいるかいないか判別がつくと言われたりもしますし、友人が撮った写真をいただいて許可を得てアップロードしたりもします。

 

ご迷惑にならないよう細心の注意を払いますが、心無いお言葉を知らない方からいただくことは頻繁にあります。そのたびに自己を見直し、見つめなおして、なるべく不快に思われることのないよう、ただのファンが出来ることで最大のことをしようと思っています。

 

理由は目立ちたいからではありません。予想だにせず目立ったことで、盗撮されたり会いに来いと突然メッセージを送られたりと、目立つことでいいことは全くありませんから。

 

ただ、批判を恐れずに書くと、

 

気づいてほしい。

 

とは思っています。

私という存在にではありません。

 

その人が素晴らしいバスケ選手であること

 

に気づいてほしいと思っています。

本人にも、周りの人にも。

価値があることに気づいてほしいのです。もちろんそれを信じているからプロとしてコートに立っているのですが、より一層更に、です。

 

バスケットの神様はいると思っています。神様は時に意地悪で、時に残酷で、良い時がある分、信じられないくらいのどん底も味あわせる神様だと思っています。

 

どんな時も、素晴らしい選手であること。

 

忘れないでいてほしいのです。私は世界中で誰1人信じなくても、その人の素晴らしさを信じ続ける自信があります。その価値がある方だと知っています。

 

だから常に気づいていてほしいのです。

忘れそうになったら思い出してほしいのです。

 

わがままで、自己中心的な愛し方だと理解しています。けれど、プロとして素晴らしいバスケを魅せることのできる才能があるのは、人類の中でほんの一握りの方々です。

 

そして、応援する時間は限られています。先日、アルバルク東京で活躍したレーン選手が引退を表明していました。

 

私の応援している選手と同じ歳でした。

 

もちろん、私はずっとそれよりも年上なので、私の寿命もそれなりに限りがあります。全力で応援できるのは、人生の中でほんの少しの時間しかありません。

 

明日応援できなくなっても、後悔しないように。

 

私はそう生きています。

 

伝えなければ、想いがあってもそれは存在しているかとてもあやふやなものです。もちろん、忍ぶ愛もあるでしょう。それを否定しているわけではありません。ただ、静けさも喧しさも、どちらもあったらいけませんか?と思います。

 

伝え続けることはリスクも生じます。多くの人の目に留まれば非難もあるでしょう。それは甘んじて受けます。けれども、ふと先方の目に留まる機会も確かに存在します。ただサービス精神からの「ありがとう」で私は一生分の幸せを得た気持ちになりました。

 

ファンとして良い意味で応援として出来ることには色々な形があると思います。その全てが多様であって良いと、私は考えています。

 

 

 

2018.09