声なき声に耳を澄ませて
あけましておめでとうございます。
新年から、どうしても納得いかなくてブログを書く。相変わらずですね。
今年もよろしくお願いいたします。
全力でふざける大人は面白い。
そういう風潮、ありますね。
今日の話は、Bリーグの試合開場での、観客側のパフォーマンスについてです。
お面やマスク。
布を振る。
大道芸。
デカメガホン。
ダンス。
仮装。
着ぐるみ。
アフロ等ヅラ。
色々ありますね。
結論から書くと、私はそれら全ての面白さは、ほとんど理解できないんです。
冷血!最低!水差しババアが!
どこかで書かれる前に書いておきますよね笑。
ここでだいたい誤解されるのが、パフォーマーの皆さんが嫌いなんですね!リスペクトもないんですね!
みたいな興奮した思い込みなんだけど、いや別にパフォーマーさんの中にお友達たくさんいるよ?個人の楽しみ方の一つとして、むしろ実際の状況や、普段では尊重していると思うけど?
と答えておきます。
みんなのことは好きだけど、やれと言われたらやらないし、私はプレーンな姿で声出してチアアップするのが好き。
それだけの話。
それだけの話ならいいんですけどね…。
たとえ話しをしましょう。
あるところに1人の選手を応援するおばさんがいました。おばさんはその選手がやたら好きです。今、その選手は比較的空いている体育館で試合をすることが多いです。
おばさんは自由席の券を買い、そのうちの一つの椅子に座り、足元に荷物を置きました。
プレーがはじまり、おばさん大歓喜。好きな選手をもっと応援したいなー!と思いました。自由席券。客席はまばらです。
おばさんは思いつきました!
こうして、おばさんは荷物を最初の席に置いたまま、ぐるぐると試合中、その選手がいそうなところに座る位置を変えながら観戦しました。
おばさん、どうなりますかね?
※スタッフに咎められる
※周囲の人の視線は冷たい
※移動しているところを撮影されてSNS晒し
とかありそうですね。あ、たとえ話しですよ。
おばさん…もとい、私がやったら大炎上ですが、有名な強いチームのファンが考えた団体行動として布を振るなら、いいんですかね?全然納得いかないので、書いてるんですけどね。
私は全力でお堅くて真面目です。面倒くさい女。でも、ふざける自由と、おかたい自由、並立できませんかね。
立飛で布、振っているのは存じ上げておりました。席移動もなく、畳んで洗って、なかなか許可や周囲への理解、大変そうなパフォーマンスだなと思った覚えはあります。
時を経て天皇杯、同じように何処かに陣取って振るんだろうな…と思っていたら、
ゲーム中はコーナー付近の角度から観戦し、フリースロー時だけゴール裏に移動してフリースロー妨害パフォーマンスをし、そそくさと自席に戻っていく
それが面白くて、今回大好評のパフォーマンスだそうで。
まず思ったのは「自分の荷物が置いてある座席」と「移動してパフォーマンスする席」両方買い求めてるのかな?
です。チケットが2枚なら、移動は自由なのかな、と思ったんですが、
「自由席の自由とは、1枚のチケットで、試合中にそのエリアどこにでも自由に移動したり戻ったりしていい」
という解釈のようで、とてもびっくりしました。なら、たとえ話しのおばさんも許されると思うけど、どうなのかしら…
あ、実際のおばさんは移動しませんよ。
私の自由の解釈はこうです。
「自由席の自由とは、そのエリアのどこかひとつの席を選べる自由」。
積極的に論争をしたいわけではないので、私が気になることをもうひとつ。
では「自由な」エリアにいる全員が、あの大移動に関して、好意的に納得しているのか?
アンケートするわけにもいかないし、あれがあのチームとして恒例なら許すのが当たり前、という雰囲気づくりから作り上げているのかもしれないな、と個人的には予想していますが。
有名なファンや私設的な応援グループの作った企画、断ったらこわいから了承するしかないよね。
私は観客同士で、優劣や貴賤やリーダーとそれ以外があるのを激しく好まないので、例えばエンドに座っていて、大移動してくるなら空いてて観やすいから座ってるので来ないでくださいって話をすると思いますし、運営呼んで相談しそう。
で、次の日から噂が巡って総スカンを喰らう生き方ですけど、普通はやらないよね、そこんとこぐっと呑み込んで、うまくやるのが大人だもんね。
こういうことを書くと、やっぱり興奮して
「自分が正義だと思ってる!!!!!」
と言われることの多い私ですが、正しいと思って言ってるんじゃないのよね。やめろとも言ってないの。どこにも書いてないわよ。
大勢が面白いと思っているなら、1人でやるときは微妙なことだとしても、何をしてもいいのか?面白いものに水を差す行為は咎められるけれど、
怖くて言えないけど、本当は困っている人がいるかもしれない、面白いとは思えない人にとってはしんどいかもしれない、ということには配慮がないのかな?
と思うだけです。
パフォーマンス自体は勇気のいる行為です。
好きで、応援したくて、盛り上げたくて、楽しみながらゲームに寄与することができるかもしれない企画、色々考えて、プライド持ってやっているんだろうな、とは思います。
ただその矜持で、同じチケットを買って、黙って座っている方々のことを考える時間も作って欲しいなって思いました。
私は気が強いし、孤独も問題ないから、言えるしこうして書くこともできます。
パフォーマンスする自由が認められているのであれば、パフォーマンスを苦手とする自由もあっていいのではないでしょうか。
2020.01.ゆりあ